黒板にすらすらと書かれる言語は少々読み取りづらい。その癖、あの人の発音、声の響きはとても美麗で、聞く人の心を一瞬にして捕らえてゆく。
「じゃあ次、お前、読んで」
前の生徒が指され、耳を赤くしながら立ち上がる。僕は溜息をつきたくなった。先生は天然なのだ。

「―――――」

僅かに高く、上擦った声が教室に響く。先生は席と席の合間を縫いながら、段々と近付いてきた。僕は僅かに顔を上げた。
目が合う。
ふ、と口の端を上げる彼の瞳には自分しか映っていなくて、慌てて下を向いた。頬が熱くなるのがわかる。
誰かに見られてやしないかな。
不安になってこっそり辺りを見渡すと、黒い瞳とぶつかった。
「ッ!」
咄嗟に教科書に顔を向けるも、今のひそかなやり取りに気付かれたという確信は強くなるばかりだった。関係に、気付かれたか。黒の少年は全てを見通すような恐ろしい目をする時があった。親衛隊が発足されるほど絶大な人気を誇る少年は、時折氷の瞳で僕らを見ていた。皆は知らないのだろうか。僕は彼が怖い。先生の方を見ると、もう他のところを見ていた。他の子にも同じこと、してやしないだろうか。僕は不安になった。





先生と僕の逢瀬は決まって図書室だった。
ちょうど奥の棚に死角があって、二人が色々と事を致すには最適の場所なのだ。
この場所を発見したのは先生だ。初めは無理矢理引きずり込まれていたようなものだったが、仕舞いにはどうでもよくなっていった。
どうせ、逆らえやしない。彼にも、僕の気持ちにも。

「、」
「バジル」

先生は僕の名前を呼んで顎を捉えた。僕は降って来る口付けに、体の全てを持っていかれそうになった。眩暈がする。
そんな僕を一瞥し、目の前の男は微かに笑った。悔しい。けれど、抵抗するのも何だか馬鹿馬鹿しく思えるほどには、場数を踏みすぎていた。
「転入生が来る」
「この時期に?珍しいですね」
「少々訳ありでな。お前、今部屋に一人だろう」
「そうです。こないだ正一が帰国しましたから」
監督生として一緒に寝食を共にしていた日本人は、家庭の事情で母国に帰ってしまった。バジルはとても残念に思ったものだ。彼のおかげで日本という国への造詣を深めることが出来たし、彼自身も友人としてとても魅力的な少年だったのだから。
「来るやつも日本人だ。初めの一ヶ月だけ、お前の部屋に置いてやれ。いろいろあるヤツらしいから」
「そんなこと、出来るんですか?校長先生は勝手は許さないと」
「その校長からのお達しだよ」
ふうん、と、吐息に似た呟きをこぼして、僕は俯いた。会話中も始終動いている不穏な手は、僕の体を弄ぶ。いい加減にしてほしかった。生温い温度でじりじりと追い詰められるのは、色々と困る。

「せんせい」

声色で伝えると、先生はくすりと笑った。金色の髪が顔にかかった。体が熱くなってゆく。全て、捧げようと思った。ほかでもない、あなたのために。あなただから。

「かわいい」

そんな言葉ひとつで僕は。もう、












「腐ってるぜ」
呟きは彼らには届かない。わかっていても、吐き出さずにはいられなかった。狭い建物の中に閉じ込められて愛を勘違いしている野郎たちの濡れ場には興味が無かった。偶々目にしてしまっただけだ。
建物に背を向け、足を進める。

俺はなぜここに居るんだろう、と考える時間が増えている。経過ではない。意義というか、それは生きる意味へも繋がってゆく。仕舞いには己の無力さを痛感することになりそこで思考は中断せざるを得ない。アイツは――温和そうに見える後見人は、「君はまだ世の中を知らない」とか何とかほざいていたが、ひっくるめればあの男の家のため、またただの気まぐれのために此処へ放り込まれたようなものだ。俺は一人だ。話が出来る友人は居る。一緒に居て楽ではある。けれど違う。別に『真実の愛』とやらを求めているわけではない。俺は形に出来ない、上手く言い表せない、けれど切に願うのだ。俺自身を包み許してくれる何かを。

「あの、」

振り向くと、一人の少年が立っていた。その顔に記憶は無い。
「誰だ」
「さ、沢田」
それだけ言って、少年は黙り込んだ。その様子が神経を逆撫でた。
「何の用だ、こんなところに」
「オレ、転入してきて」
時期外れもいいところだ。何か訳ありなのだろうか―――いや、余計な詮索は面倒を起こすだけだ。
「ついて来い」
元来た道へと踵を返す。チラリと後ろを見やると、間抜けな顔が突っ立っていた。
「校長室?寮?どっちでもいいが。道わかんねーだろ」
「あ、ありがと」
優しいなあ、と聞こえ、思わず顔を顰めた。コイツも同じだ、周りを囲んで俺を見てくれだけで崇拝する訳のわからん連中と。
わざと足を速めた。振り切りたい衝動に駆られたのは何度もあるが、態度に出すのは久しぶりだ。






前を歩く、と表現するにはあまりにも速い彼は何だか不機嫌なようだった。
(えっ、オレのせい?)
だってしょうがねーじゃん、右も左もわからんか弱き転入生その一なんだから。
最初は追いつこうと頑張ってみたものの、あまりにもリーチが違いすぎるのに段々と疲れてきた。あいつ足長げーよ。
(はあ・・・・・・またか)
昔っからよくはみ出しモノ扱いをされ、新天地でもそれは変わらない兆しを見せている。何だかなあ、と思うけれど。
そのうち生徒たちとすれ違うようになって、彼らは前を歩く男を見るたびに「きゃあ」だの「うわあ」だの黄色い声をあげた。何だ何だ。この男、有名人か?確かに顔は綺麗だった。アレか、学園アイドルな、あんな感じか。男が男相手によくやるよなあ。
「おい」「へ」
アイドルがこちらを睨んでいた。怖い。
「な、なんスか」
「着いたぞ、校長室。とっとと行って来い」
「ああ・・・・・、ありがとう、えーと」
「リボーンだ」
リボーン、と口の中で呟いた。変わった名前だなあ。外国の人はこんななのか。
「ありがとう、リボーン」
さっさと終わらそう。今日はもう、疲れた。動かない少年の横をすり抜け、重厚な扉を開けた。叔父さんに会うのは久しぶりだ。







礼を言ったアイツの目は、何の感情もなかった。『普通』だった。そういう目で見られたのは久しぶりだった。いやあいつはまだオレを知らないから。来たばかりだから。周りに染まっていないから。ただ驚いただけだ。

「あっ」
声のした方を向くと、同じクラスの監督生が目を丸くしていた。先ほど、図書室で見た少年。
「こ、こんにちは」「ああ」
向こうは気まずそうだったが、別に何も気にしちゃいない。冷めた目で見るだけだ。
「転入生?」「ああ。何だ、情報早いな」「さっき聞いたから」「誰に」
ぐっと詰まった少年に、思わずニヤリと笑んでしまった。バジルの顔が赤くなり、ますます己の笑みが深くなるのがわかった。
「まあせいぜい、可愛がってやれ。お前がセンセイにされるようにな」
「!」
真っ赤になって駆け出した少年は滑稽で、クスリと笑いこぼした。

「トマトみてー」
「!」

鳶色の髪がドアから覗いている。目が合うと視線が泳いだ。顔に汗をかき始めたのに、何かカチンときた。
「早いな」「ま、書類受け取っただけですから」
それじゃ!と脱兎のごとく駆け出そうとしたヤツの襟首を掴んだ。衝動的に。
「ちょっ!何すんだよっ」
「寮に行くんだろ?案内してやる」
「別に一人で行けるって!寮長に会わないといけないんだ、急がねば…」
「それ、俺」
固まってしまったコイツの襟首を引き摺りながら、寮へと向かう。妙に気まぐれが続く。普段の自分なら、自ら他人に構うことはあまりしないはずなのに。手元を見やると、琥珀色の瞳とぶつかった。色は怯えと困惑。新鮮だ。
「さー、チャキチャキ歩けよ」
「痛いんだよ馬鹿やろ!あっ嘘ですごめんなさい恐いから睨むなってうわ暴力反対痛ってェェ!」
「うるさいやつだ」
金持ちばかりが集まってヒソヒソと囁き合うところへ、いきなり異色が混ざってきたような感覚。厄介事が増えるかもしれない、と思った。
「何笑ってんだよ」
沢田が気持ち悪そうに言う。頭を叩いて黙らせた。おお、ここに誕生、下僕その一。












キャスト

沢田:転入生
リボーン:監督生、寮長
バジル:監督生
ディーノ:外国語教師
九代目:校長。綱吉の叔父、リボーンの義理の父親



人生は薔薇ばかり馬鹿ばかり