ドアを開ける。
からんころん、 と涼やかな音色が響いた。
「いらっしゃいませー」
従業員が愛想よく笑顔を振りまく。
最近近所に出来たこの美容院は、美男美女尚且つ腕の良い美容師揃いだと既にその名を地域に広めていた。
噂を聞いたときにはふーんくらいしか感想を持たなかったが、他のなじみのところは予約が取れなかったので、
まあものの試しに、くらいで電話をしてみたら、あっさり予約が取れてしまった。
平日の昼だからか。
ダメとあだ名がつくくらいダメなオレは、こういう新しく流行最先端的なところはどうも気後れしてしまうので、予約が
取れたときには何となく胃が重く、「あー電話なんてかけなくてもよかったかな」なんて思ってしまったが、人よりは
扱いにくいであろうこの髪を、最先端の技術でどうにかしてほしい、という思いもあり、こうして足を伸ばしてみている、
わけで、あるのです。
そんなこんなで椅子の上。
「今日はどのように致しましょうか?」
「あー、ちょっと短めで。あと、すぐ髪が立っちゃうので、いいセットの仕方も教えてもらえれば」
「かしこまりました」
やけに丁寧なお兄さん、おお、かっこいいな。
高い身長を隙なく動かしながら、真剣にオレの髪を捌いていくその姿は、モデル並みなオーラを発していたと思う。
染めたにしてはやけに輝いている、その銀色の髪と、深い灰色緑と青を混ぜたような何とも言い難い瞳の色(深い
海の色のようだと思った)が、鏡越しに見ていたオレの視線を釘付けにしていた。
光が当たると、綺麗な色彩を放つ。
「きれー…」
「?どうかされました?」
あ、やべ。
手を動かしながら問われ、自分が声に出していたことに気付いた。
「いやー、その瞳の色、綺麗だなーと思って」
「あ、ありがとうございます。お客様方は珍しいみたいで、よく気に入ってくださいます」
はにかみながら、嬉しそうに彼は言った。
鏡越しに視線が合うと、微笑まれた。
いや、その甘いマスクは、別に野郎に向けなくてもいいと思いますよ、お兄さん。
人と長い間会話するのが苦手なオレだが、その人とはぽつりぽつりと、無理のないような会話をしていた。
学生なんですよー。へえそうなんですか、近くですか?うん、そこの大学、今年から入ったんですよー。
そうなんですか、大学なんて凄いですねえ。いやいや人の髪切るのがスゴイと思いますよオレは。
なんてのをほのぼのと連ねていた。
だがしかし、オレは人に髪を触られると眠くなってしまう性質だったので、そのうち頭が下に傾いていたと思う。
頭の上から、くすり、と、嫌ではない感じに声が聞こえた。気がした。
「お客様、失礼します、終わりましたよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ、うお、」
びびった。
目を開けたら深い海の色がそこにあり、一瞬、あれ、今どこだっけ的な思考になっていた。
あ、オレ寝ちゃったんだ。てゆうか、近くないですか?
睫毛も銀色だ、凄いなあ、くらいに思えるほどには近づいていた気がする。
あ、もしかして、間抜けな寝顔見られた。かな。うおお、恥ずかしー…。
「す、すいません」
「いえいえ」
それでは、シャンプー台に移動致します。
言いながら、椅子を回転してくれるお兄さん。その様子も様になっている。
こんなにカッコいい人種がいるなんて、世の中は不公平だなあ。
シャンプー台は、水平ではなく、少しだけ傾けたようなものであり、首も全然痛くなかった。
へえ、最近の台ってこんなに高いんだ。洗うとき大変じゃないのか?でも客は楽かも。
「それでは、失礼します」
カッコいいお兄さんは、そのまま洗いに突入した。あれ、これって、顔になんか掛けないの?タオルみたいなの。
オレがビックリしながらお兄さんをジッと見つめていたら、「…どうか、されましたか?」と聴かれた。
「あ、すいません、何でも…」思わず目をサッと逸らしてしまった。
これはあれだ、目ぇ瞑っとけばいいんだな。
「…、湯加減はいかがでしょうか」
「あ、丁度いいです」
「どこか痒いところはございませんか」
「あ、大丈夫です」
わしゃわしゃわしゃ。
わしゃわしゃわしゃ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すいません」
「は、はい」
「・・・・・・・こめかみの・・・ところ、かゆいです」
「はい、わかりました」
わしゃわしゃわしゃ。
わしゃわしゃわしゃ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すいません・・・・・」
「はい」
「てっぺんらへんも・・・・・・・・・・」
「はい、了解ッス」
わしゃわしゃわしゃ。
わしゃわしゃわしゃ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、ぶ、ぶは!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、!?どうか、しましたか?!」
「いや、すいません、歯医者の時みたいに、手ぇ、あげながらおっしゃってて、しかも顔を顰めていらしたので、
何かツボに入ってしまいまし、た」
「・・・・・・・・・・・すいません・・・・・・・・・・・・・・・・」
「いや、こちらこそ!失礼しました!」
いや、そんな満面の笑顔で目じりに涙ためるほど面白くないよ!?と突っ込むのは心の中だけにしておいた。
そんな彼は、液を洗い流しながら、なぜか鼻歌なんぞ歌ってやがる。馬鹿にされてるのか?でも嫌な感じはしない。
まあいっか、といつもの諦め思考で、考えることを放棄した。
ぞわり、とした。
「…?」
どうやら、トリートメントの後に軽くマッサージをしてくれるらしく、首筋に指圧が掛かっていた。
背中に近いところから、頭の根元まで、項全体にほどよい力を加えながら移動させていく。あ、気持ちいいかも。
でも、ぬるま湯の濡れた手に液がちょっとだけついているせいか、少しだけぬるぬるしている。
女の人がエステに通うのって、こういうのが気持ちいいからなのかな。
手が少し横に移動し、首から耳の後ろにかけて指が移動していく。首の横筋に指が伸びたとき、思わず声が出た。
「ん」
一瞬手は止まるが、お兄さんはまた指圧を再開していく。
同じ方向に何回か指が滑るたびに、なぜか声が出そうになり、何となくそれはダメな気がして、ちょっと耐えていた。
眉が寄ってしまう。
何となく、空気の流れが止まったような気がした。
「お疲れ様でした、こちらへどうぞ」
なぜか少し頭に血が上ったまま、ふらふらとカット台に移動した。ドライヤーは気持ちいい。
カットの時とは違い、あまり言葉は交わさなかった。
「出来ました」
「おおお!」
すごいな、やっぱりプロは違うなあと思いながら、オレは鏡を見ていた。
何か、顔と髪型のレベルが一致していないように見えるのは気のせいか?
「マットワックスを少し濡らしてお使いいただければいいと思いますよ」
「参考になりました、本当にありがとうございますー」
にへら、と笑うと、嬉しそうにニカッと返された。最初の時の笑顔より大分崩れた(失礼かな)笑顔だったが、こっちの方が
親しみがもてるぞ、と思った。
「また、いらして下さいね」
「・・・・・・・・・へ?」
「お待ちしています」
「あ、ありがとうございます」
そんなに真剣な顔で言うことか?
何となく、『なじみのところ』が、変わりそうだ。と思った。