しまった、と思っても後の祭りだ。沢田綱吉三十歳は焦っていた。表ではそこそこ知られていて裏では世界規模で有名なとあるファミリーのボスを務めるようになってからは、焦るということは己に禁じている感情の一つであったし、身をもって叩き込まれていた。当然、優秀な家庭教師によってである。(いやまだ確定したわけじゃないしただの気の迷いというか気のせい気のせい)と無かったことにするのは昔から得意だったので、綱吉は即実行した。心臓に蓋をした。厳重に。
「あ゛ーーーーいきたくねえええ」「どーしたん?」
久しぶりにゆったりと流れている午後のおやつタイム。そんな時はボスの部屋でまったりするのが恒例となっていた。中央のソファに体を預け、思い切り天井を仰いでいるヒットマンを見て、山本武は朗らかに尋ねた。彼のそんな感情剥き出しな様子は滅多に見ることが無くて、それが年相応の雰囲気で微笑ましく思ったのだ。
「愛人のとこに行かなきゃなんねー」
台詞は真っ当な十代青年のものではなかったが。
「めずらしーな、お前いつも嬉々として行くじゃねーか」
「別にそんなんじゃねえ。でも今回のコレは結構しつこいんだよ、面倒くせー」
小指を立てながら渋い顔をするヒットマン。山本は溜息をついた。
「小僧。お前、今の愛人何人目?」「通算?今の股数?」「・・・・・・・いやもういい」
重厚な扉を開ける音が響いた。沢田綱吉がおぼつかない足取りで大きな盆を抱えている。お茶淹れはなぜかボスの役目だった。
「おー、いー匂い」
「お帰り山本、今日は中国産のブレンドだよ」
「ただいま。あー落ち着くなあ」
山本はリボーンの向かいに腰を下ろした。そのまま言う。
「お前さあ」
リボーンはチラリと視線をよこした。
「カノジョつくったら?」
ドガッシャン!
「・・・・・・・・・・・・・ツナ・・・・・?」
「おいダメツナ。テメー碌に茶の準備も出来ないのかこの駄目駄目」
「うううううるさいダメダメいうなっ!オレ、も、もっかい淹れなおしてくる」
「どーしたんだ、アイツ?」「さーな」
慌てて部屋を飛び出した背中を、二人は訝しげに見やった。
キッチンに駆け込んだボスの顔を見て、コックさんはちょっと顔を赤らめた。
「ボボボ、ボボ」「・・・・・・・ボーボボ?」「ボス、大丈夫か・・・・・?」
ギロリン。
「何が・・・・・?」「いや何も!俺は何も見てない!」
久しぶりに超死ぬ気でなぜかちょっと泣きそうな顔をした十代目を何とかスルーし、コックさんは奥へと消えていった。
綱吉は広いシンクに凭れ掛かった。そのまま蛇口を捻る。
勢いよく噴出した水をぼんやりと眺め、しぶきに顔を近づけた。
「気持ちいい・・・・・」
水は良い。人間の体は80%水で出来ている。生命体は水から生まれたから、水の近くに居たがるのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・うおおおおお」
オレはとうとうおかしくなってしまったのだろうか、と綱吉は思った。だって、今更なのだ。三十になって、こんな中学生の頃に感じていたような子供っぽくてそれでも心地よい感情を抱くことになるなんて。どんなに隠し塞ごうとしても、ふとした拍子に零れてくる。なんつうか、天変地異が起こっている。
『カノジョつくったら?』
山本の言葉がずきりと胸を締め付けた。
「彼女かあ・・・・・・・・・」
もしリボーンに彼女が出来るとしたら、どんな女性なのだろうか。
ビアンキのように妖艶で大人の女性かもしれないし、女の子らしく純粋そうな可愛らしい子かもしれない。
そこまで考えて、綱吉は本格的に涙目になった。