目覚めの早い隣んちのペスが吠えている。下に降りると、食欲をそそる匂いが漂っていた。
「あらおはよう」
「・・・・・・・・・・・・フレンチトーストかりかりベーコン!おはようございます!」
綱吉にとっては御馳走だ。
コーヒーを飲むリボーンの隣に腰掛け、サラダにドレッシングをかけた。胡麻ダレ。これも大好物である。
「おい」
「自分でやれよそんくら・・・・・・スイマセン」
リボーンのにもかけてやる。ついでに傍にあった朝刊を渡すと、挟まれてあったチラシを寄越された。
一連の行動を見ていた奈々が(まるで夫婦みたいねえ)と微笑ましく思う。妙な空気には気付くことはない。
ゆっくりと流れる時間の中、めずらしく母親が慌しいのに綱吉は首を傾げた。リボーンも。
「何かあんの?」
「あらっ言ってなかった?プチ旅行」
「はッ!?」
「お、ん、せ、ん〜♪大島さんちの奥様と一緒に羽伸ばして来るわ!」
「おおしま・・・・・・・・・」
「明日の夜には帰って来るわねーあらやだもうこんな時間?お金ここ置いとくからね、戸締りちゃんとするのよーガス電気も消し忘れないようにね!じゃあ行って来まあす」
バタン。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
綱吉とリボーンは一瞬視線を絡ませ、気まずげに逸らした。
世の中はのんびりとした週末の始まりである。
たった二人を除けば。
「・・・・・・・・いってきまーす」
「・・・・・・・・・・・・おー」
綱吉は家を出た。門を出て振り返る。無意識に溜息が零れた。
軽く水で濯いだ顔が冷たい。身を切られるような、とまではいかないものの、冷たい空気の針が無数に顔を刺すような感じだった。
頬が疼く。洗面台で見た時はまだ青黒かった。
昨日の記憶はおぼろげだ。体が少しだけ重い。あれは家での出来事だったんだと知って、そこまで至った経緯に背筋が寒くなった。
だって、丸二日、ほとんど授業を受けずにぶっ倒れてたことになる。
しかも夕べのアレ、あの、思い出すのも頭が重くなるような恥ずかしいような・・・・・・・・今考えても十分に頭を抱える程に。
兄弟仲直りの光景が甦ってきた。照れる。盛大に照れる。あのオレはオレじゃなかった、そうだ、夕べのオレはオレじゃなかったのだ。
ていうかいつのまに家にいたんだろうか。きっとリボーンが家まで運んだに違いない。
・・・・・・・ダメツナの極みである。
『目を回した兄が弟に抱えられ家まで運ばれる図』が脳裏に浮かんで、綱吉は肩を落とした。
とぼとぼと歩みを進める自分の足を眺める。覇気のカケラも見当たらない。
「ツナくん!」
(・・・・・・・・・・・・幻聴?)
ゆっくりと振り向いた先には、朝の陽の光を集めたように微笑む天使の姿があった。
「京子ちゃ、」
「おはよう」
「・・・・・・・・早いね」
「お兄ちゃんのロードワークついでに、朝のお散歩」
「お兄さんは?」
「さっき大島さん追っかけてったかなあ」
だから誰だ大島って。
どこからか『きょくげぇぇぇぇん!』という咆哮が聞こえてきたような気がした。綱吉は頭を振った。
土手をゆっくりと歩きながら、京子はぽつりと呟いた。
「別れたの」
嘘だ。
喉を思い切り引き攣らせた綱吉に、京子は笑ったままで。
そうなんだー知らなかったなあけど男は星の数ほどいるし京子ちゃんならすぐ新しい人が出来るって絶対とかとりあえず言葉を返そうと試みた。が上手くいかない。うんともすんとも言えない。苦しいと感じて息を止めていた自分に気づき、呼吸をしようとして、くらりと眩暈が先立った。
京子は綱吉のそんな様子をじっと見ていたが、何か言うわけでもなく背を向けた。
「リボーン君がね、」
柔らかい声で弟の名を紡ぐ彼女。
「一緒に居てくれたの。声をかけたら振り向いてくれたし、名前を呼べば呼び返してくれたし」
惚気が胸を軋ませる。綱吉は顔を歪ませた。それが何のせいなのか考える余裕も無かった。
「応えてくれた。優しくしてくれた、それがとても嬉しくて、でも」
「・・・・・・・・・・でも?」
京子は口を噤んだ。
「・・・・・・ううん。・・・・・・・私にはもったいない人だった」
「えええええええ!?てかむしろ、アイツなんかに京子ちゃんはもったいないよ!」
「フフッ」
高校生にしては幼い顔立ち、大きめな目、小さい口、垂れた眉、つんと立った髪の毛、緩やかに下がる肩。
「・・・・・・・・ツナくんを好きになれば、良かったのかなあ」
落ちた沈黙に、京子は振り向いた。そして固まった。
「・・・・・・・・・・・・そんなこと、言わないで、」
「ツナくん」
(好きな人、否、)
憧れの女の子だ。綱吉は心の中でそっと言い直した。
こんな情け無い格好は見られたくない。なぜか泣きそうになっている自分。
でも、嘘でも否定してほしくなかった。
リボーンへの気持ち、リボーンの気持ち、笑ってた二人。寄り添って歩いていた帰り道。そっと抱き寄せていた腕。
冗談でも言ってほしくない、無かった事にだなんて。
「ツナくんは、優しいねえ」
「・・・・・・・・・・・・・オレは、」
「ありがとう」
これだから憎めないのだ。
京子はそっと思った。
リボーンは好きだ。まだ完全に吹っ切れたわけではない。
(それでも、)
あの人は私を見ていなかったから。
京子は言葉を飲み込んだ。土手の向こうに広がる空は、段々と太陽を覆い隠す雲で埋め尽くされていった。