その存在は、当たり前だった。
生まれたときから傍にいて、それ故子どもじみた劣等感の原因で、それでも離れるなんて考えたこともなくて、空気のようなものだ。
その温もりが胸をしめつけたのはいつの日からか。
喜びも哀しみも怒りも楽しさも、そして、切なさも、ぜんぶもらった。
ぼた、と、水が垂れた。
キラリ、黒が艶めく。根元まで濡れた髪の毛先に、ゆっくりと、水の粒が生まれる。
自分の体に纏わり付いているのも同じ、ただの雨の残骸のはずなのに。
僅かな光を反射する雫が、真珠のように煌いた。白く浮かぶ体が、このまま、とけて、消えてしまいそうだった。
地面を、壁を、屋根を叩く雨は、もう世界の外にいる。
綱吉は瞬いた。
右頬に触れる手は冷えていて、触れた指先から震えが走った。
ゆっくりと覆われる。
瞬間、
綱吉の体を、心を、魂を、
涙が零れるほどにかなしくて、
胸が裂けるほどに切なくて、
それでももう、二度と放したくないと、全てを揺さぶり奪っていった、
嵐のような感情が、綱吉の中を駆け抜けた。
(落ちる)
思った、同時に綱吉の体は崩れた。
「、」
リボーンの手が、肢体が、それを追ってくる。床に座り込んでしまった体は壊れた人形のようだ。その硬い体が、そっと包まれた。
何も言わないまま、綱吉の左肩に額を乗せる。しなやかな黒髪が、柔い肌にひろがる。
綱吉の喉が、くぅ、と鳴った。リボーンはそれを聞いて吐息を漏らし、そっと首筋に鼻面を押し付けた。
綱吉には、その黒い瞳の中の感情をもう一度確かめたいと思う余裕すら無かった。
吐息が鎖骨に触れた瞬間、身体がぶるりと震えた。
「ぁ、」
「ッ」
リボーンの唇は、そこから漏れる吐息で首筋から頬へと辿った、ゆっくりと、這う様に。
微かに震える肌が青黒く腫れたところへと着いて、彼の舌先を誘う。
息を途切らせながらも、紅い舌はそこを蠢き始める。
綱吉は目を見開いた。ぬるついた感触。鈍い痛み、上回る、痺れ。
舌先が、唇の端を舐めた。
(あ、)
だめだ。
そこはもう、
戻れなくなるよ。
ガンガンと、頭の中で警報が鳴り響く。瞬時に、身体が熱くなる。
否定の言葉と奈々の顔、山本の顔、京子の顔、いろんなものがぐるんぐるんと綱吉の中を渦巻いて、それは台風になった。
ぜんぶ、冗談などではない。その事実が底が見えない程に恐ろしいもので、それでも自分の手は震えながら目の前の男のシャツの裾を掴んで、吸い付くように、しがみつくように離れないままだというのだから。
(たすけて…、)
それでも。
全身を駆け巡る熱が、衝動が、信じろと叫んでいる。
己の直感を。
この手を、離すなと。
そして静かに涙を湛えた台風は、合わさった唇が吸い取ってしまった。ぜんぶ。
その一瞬は永遠のようで、綱吉の、生涯の、大切な、かけがえのない時になった。
瞼の裏が明るい。
ぼんやりと目を開けた。
(……………あれ、オレいつ寝たっけ?……ていうか、なんか全身痛いんだけど、……寒い………)
あれ?
「うおおおおおおお!!!??」
「うっせえ!!」
ツッコミは案外近くから聞こえた。
綱吉は呆然とキッチンの方を見やる。リボーンが奈々のふりふりエプロンをつけ、フライパンを返していた。
「………何してんの?」
「チャーハン」
良いにおいがする。おなかの音を聞きながら、綱吉はよろよろと椅子に座った。
「………オレ、どんくらい寝てた……?」
「さあ、二時間くらいじゃねえの」
「……あれ、オレ、何で叫んだの?」
「知るか」
何だコイツ。何か冷たくない?
弟の態度もそうだが、何か重大なことを忘れているような気がして、綱吉は首を傾げた。
何かこう、ビッグニュース的な、天変地異ぐらいにありえないことがあったような…………。
(なんだっけ?)
「出来たぞ」
目の前に出されたほかほかなチャーハンに涎を垂らす前に、額に温もりを感じた。
「え?」
「さっさと食え」
背を向けたリボーンの耳は少し赤くて―――――
ドガッシャン!!
「……………おい、何してんだテメー」
「………………………すいません…………」
思い出した。
う、あ、
ああああああああああああ!!!!!!!
顔が上げられない。
全身から火が出ているのかもしれない。
綱吉は無言で、黄金色のチャーハンを掬った。
蓮華を持つ手は震えながら。