ヒルトンの中、エントランスから優雅な仕草でフロントへ向かう男は、周囲の人目を引いた。
アルマーニのスーツが彼の容姿を引き立て、独特の魅力的な雰囲気を出している。
キーを受け取った男は、付こうとしたベルボーイに「いい」と手を振り、一人でエレベーターに乗り込んだ。
密室の中、考え込む。
イタリアのファミリーは、恐らく潰されただろう。すぐにこちらの組織に通じなければ。
フロアに着く。長い廊下を横切り、部屋の前で泊まった。キーを差し込む。
ノブを押した瞬間、ふと違和感を感じた。
「!」
思わず、懐から拳銃を取り出す。部屋の中へ踏み込んだ。
いくつかある部屋の中を、慎重に確かめる。
誰もいない。
気のせいか。
思わず、息を吐いた途端、
「こんばんは」
頭に、ごり、と固い何かが当たる感触がした。
思わず両手を上げる。
「壁に付いて、頭を両手に置け」
顔は見えない。
意図して低くしているようだが、声からするとまだ幼い気もする。
これは、いけるか。
「ケースはどこだ?」
「ドアの、前だ」
「動くなよ」
見えぬ相手は一瞬気を緩めたように感じた。
その僅かな隙を突いて、男は反転する。
呆気に取られて動けぬ相手を床に押し倒し、両腕を片手で拘束した。
「・・・・・・あちゃー」
やけにのんびりした声が下から聞こえる。 男は、改めて相手の顔を見た。
「・・・・・・・なんだ、ガキか」
「ガキって言うな!」
両腕両足を縛られ床に転がされた綱吉は、どうしたもんか、と一人ごちた。
リボーンは、標的の男の取引相手である、地元の組織に潜入しているはずだ。
事前調査だけだと言っていたので、一応ココで落ち合う予定になっている。
今のところ、ヤバイ感じはしない。けれど、油断は出来ない。
早く来てくれという祈りと、一人で何とか出きるという妙な意地が、綱吉の気持ちを複雑にしていた。
「それにしても、なんだって東洋人がここに?」
男はネクタイを緩めながら、ソファに腰掛けた。傍にはあのアタッシュケースが放り投げられている。
「別に、関係ないだろ」
「ファミリーの生き残りか?」
(・・・・・?)
おかしな事を言う、と思った。
あれ、この人。
「ねえ、アンタ」
「そう言えば、」
いきなり遮られた。
ごそごそとハンカチを取り出し、綱吉の口に巻きつける。
「ふむ!」
「ま、どこのヤツだろうと俺には関係ないしな」
しばらく大人しくしてろよ、とやけに親切げに言った男が、床に目を落とし、次の瞬間やたら焦った顔を向けてきた。
「しまった!薬を押収した時に使ったんだった」
綱吉は床に目をやる。 小さな袋が開いており、中から白い粉が零れ落ちていた。
まさか。
「――――!」
男はかなり焦っていた。
すぐさまハンカチを外して中和剤を打ったのだが、効くのはまだ大分先だ。
即効性なのが痛い、と苦々しげに舌打ちした。
綱吉は、焦点の合わない目と口を虚ろに開けたまま、時折痙攣を繰り返していた。
涎を垂らしたまま、瞬きをほとんどしない様子は、まるで人形のようだった。
だが、彼の体を紅く染める熱の色、そして時折口から発される悲鳴が、人形のそれではなかった。
男は視線を下へと動かし、そこで止まる。
彼の下部が、服越しにでも勃ち上がっているのがわかった。
ゆらり、と腰を動かすその無意識の痴態に、思わずごくりと唾を飲み下す。
魅入られたまま、舐めるような視線を向けながら、綱吉のシャツの襟元を緩める。
人の体温を間近に感じ取ったのだろうか、綱吉は意図せず男に体を摺り寄せた。
そして。
下半身を男の体に擦り付ける。 男は思わず息を止めた。
小刻みに震えながら、はぁ、と息を漏らした、吐息が男の唇に掛かる。
唇が唾液で濡れ、てらてらと光っていた。
「、ッ!」
衝動的に、シャツを引き裂く。
露わになった胸元に手を這わせ、色付いた桜色の首筋に顔を寄せた、時。
尋常ではない殺気に思わず飛びのいた。
「!」
床を見る。たった今居た場所に、小さく穴が空いていた。銃痕だ。
「頭じゃなかっただけ、ありがたいと思え」
声は、すぐ近くで聞こえた。
思わず叫びそうになったが、それは口の中に乱暴に押し込まれた銃身によって押しつぶされた。
「ムカつく面だな。やっぱりここで今すぐブチ殺してやろうか」
うう、と呻き声が聞こえ、二人の男は綱吉の方を見た。
ブルブルと顔を青褪めさせ、体は火照らせた綱吉が、口を戦慄かせている。
虚ろな目は変わらぬまま、綱吉の口から吐息が零れ、リボーンは眉を寄せて綱吉を見た。
「・・・・・クソったれ」
一瞬の躊躇のあと、男の口から銃を抜き取る。
よくわからんが助かった・・・!と、男はへなりと床に崩れ落ちた。
だが、次の瞬間、力いっぱい腹を蹴り上げられ、部屋の隅に吹っ飛ぶ。
「ちょ、待て!マジで怪しいモンじゃねえから!」
男は大袈裟に焦った表情で、両手を高く掲げた。
「国の命令で!極秘で組織に、潜ってたんだよ。げほ、テメエら、・・・・イタリアのやつか。もしや、俺と同業者、か?」
「似たようなもんだ」
男の目的は、薬とその製造法の調査、回収だった。
「アメリカの同業者が、わざわざイタリアまで御足労とはな。狙いは何だ」
「さあ、それは俺も知らねえ」
男は肩を竦めた。
「ただ、イタリアのファミリーが思った以上に早くこっちの組織と通じていたらしく、すでに製造法は渡されている」
「その組織は一つだけか?」
「今のところは、そうだ。だが早くそれを回収しないと、すぐに出回っちまう」
リボーンは舌打ちした。
「・・・・・・本当に、悪かった。オレのミスで仲間をこんな目に合わせちまった」
「言動が一致してねえぞ」
綱吉を襲おうとしてた事を言外に指摘され、男は項垂れた。
「一回ヌいてやったら、楽だと思って、」
言い訳を口の中で呟く。 リボーンが傍の椅子を蹴り倒し、男は黙った。
リボーンは深く息を吐いた。
ゆら、ゆらと、断続的に腰を揺らす綱吉を、静かに見下ろす。
真白い顔に、意図せずぞくりと背筋が震えた。
「おい、症状はどのくらいで引くんだ」
「あと十分程度だと思うが、もしかしたらまだ掛かるかもしれない・・・・・」
綱吉を抱え上げる。腕の中で、びくりと痙攣した。
その体の冷たさに、自然と抱きしめる腕の力が強まる。
「奥の部屋使うぞ」
「おい、何するつもりだ」
リボーンは男をちらりと見やり、目は壮絶な光を放ったまま、口の端を上げた。
綱吉は、重い意識の中、全身が氷のように冷えていくのを感じていた。
さむい。さむい。
見えるのは、真っ暗な闇だ。時折、ピンクの象がのしのしとこちらへ向かってくる。
そしてそれがどうしようもなく怖くて、悲鳴を上げる。
何も考えられなかった。
ただわかるのは、強烈に何かに飢えている、ということだけだった。
ずしりと重たい下腹部の疼きを思うように出せなくて、目じりから涙が零れた。
ふと、頬に温もりが触れる。
綱吉は顔を寄せた。
心地よい温度を少しでも求めようと、必死に押し付ける。
そして、その快感は唐突に訪れた。
「ッ!!、あぁ・・・・・あ、 ァア・・・・・」
断続的ではあるが確実に訪れるその波に、綱吉は全てを委ねた。
敏感すぎる体には、僅かな快楽も肥大されてゆく。
体が大きく上下に跳ね、ベッドの軋む音が部屋に響いたが、綱吉の耳には入っていなかった。
深い闇に白い光が差し、段々と明るくなっていった。
「は、ッ、ぁ・・・・・!」
体が温かくなってゆく。
誰かの、声を聞いた気がした。
リボーンが奥の部屋から出てきた時、男もちょうどシャワーを浴び終えてバスルームから出てきたところだった。
「悠長なもんだな、とっとと行かねえのか」
「いや、アンタもどうせ乗り込むんだろ?人数は多い方がいいかと思って」
「―――、勝手にしろ」
「おい、待ってくれ!」
焦る男を尻目にリボーンは部屋を出て行った。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、)
綱吉はゆるりと目を開けた。
強烈だった寒さが、嘘のように引いている。
シーツの温もりが心地よい。
(あー、ねむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・――――!)
状況を思い出し、反射的に飛び起きようとする。
だが、体はびく、と引き攣るだけだった。
(・・・・・・、なんだ、体が思うように動かない・・・・・)
妙な倦怠感がある。
喉が渇き、体がべとべとしている。汗をかいたのだろうか。
薬を吸ってしまったところまでは覚えている、おそらく作用が切れたのだろうと思った。
ショッキングピンクを思い浮かべた。 やたらと脳裏に焼きついて離れない。
胸がムカムカして、おえ、と吐く仕草をした。時間の流れが掴めない。
(そういえば、あの男はどこ行った?・・・・・・と言うより、リボーンは今、どこだ)
ゆっくりと上半身を起こす。体が重くて時間がかかり、それが焦りを増長させる。
部屋がしんとしていて、少しだけ心細くなった。
(迷惑をかけてしまったのだろうか)
胸の中の小さなしこりが、少しだけ大きくなったように思った。
ベッドの傍のライトを点ける。傍にメモが置いてあった。
綺麗な日本語だ。
目を細めて読む。
"良い子にしてろ"
(――――――置いていかれた!)
ぐしゃり、とメモを握りつぶす。
怒り、惨めさ。僅かな悲しみ。
残されたという事実と、置いていったリボーン、そして、自分に対して。
重い体を無理矢理起こし、綱吉はバスルームへと向かった。