「……、ああ、じゃあ、そういう事で」
面白くない。
さっきから神経を逆なでする、機嫌の良い声色。
綱吉はでっかいテレビを見るふりをしながら、クッションを抱える腕に力を込めた。
リボーンは顔を少し上に向けて、何やら笑みを漏らしている。こちらを見ることもない。
「ああ。また電話する。じゃ」
(……………、36分、42秒)
ここのところずっと続いている。携帯電話の向こうから聞こえる美しい声は、明らかに綱吉をも意識していた。
「っあー。肩痛え。おい、ちょっとこっち来い」
「………なんで」
「『30分ぽっきりコース』だ」
怪しいフレーズが余計に綱吉を苛ッとさせ、思わずクッションを投げつけた。
「ぶっ」
「……風呂入ってくる」
リビングを後にする。
後ろから「なんだよ、肩揉みくらい良いじゃねえか」とかぶつくさ聞こえたような気がしたが、もう何だかいろいろと、面倒だった。
面白くない。
身体を刺激する熱が気持ち良い。思考をはっきりとさせてくれる。
綱吉は俯いた。
細かな水滴は音を立てて足元に溶けていく。
最近、綱吉の頭を悩ませている、妙な感情。
原因ははっきりしているのだ。
(…………あの人)
その女性は、ビアンキと名乗った。
プルル、プルル、プルル、
「………………………………?」
一週間前、綱吉の携帯電話が静かに鳴った。
ディスプレイには見たことない数字。綱吉は一瞬ためらったが、恐る恐る通話ボタンを押した。
「………………はい、」
『貴方が「ツナ」?』
「………………は、」
妖艶な声。
『ちょっと開けてくれる?玄関』
「へ」
言われて素直に玄関に向かう。リボーンが見ていたら目を引ん剥いて『お前は幼稚園児か!』と突っ込んでいただろう。
ガチャン。
「………………どちら様?」
「かっ食らって」
ドガスッ!
「あづっ、あ゛アッ!!」
綱吉の顔面にアツアツのピザ(なぜピザかなんて恐ろしくて聞けやしなかった)をぶちまかしたのは、いきなり目の前に現れたド迫力満点の美女だった。
「ちょっ何してんのアンタ!?ていうか誰!!」
「来なさい」
「え、エッ!おおッ?」
ヨレた襟首をガッと引っつかみ、そのままズルズルと引き摺ってゆく。
「ちょちょっちょっとアナタ、」
「ビアンキ」
「いやだから、何モン?」
「ボンゴレ芸能モデル部チーフ」
「―――――!」
綱吉は震え上がり、こっそり女―――ビアンキを見上げる。
グッサグサ突き刺さる周囲の視線。悪目立ちだけではない。闇夜の中でも、靡く髪がキラキラと輝いている。わけがわからないながらも、女性はかなり美しかった。
(何か、エロッ)
「妙な事考えてたらぶっ潰すわよ」
何を。
「スイマセン!」
アスファルトに擦れる膝。めっちゃ痛い。心も痛い。
(女王様………)
「ちょっここ……?」
「黙ってなさい」
―――イヤイヤイヤイヤ!!
某有名三ツ星ホテルのエントランスに引っ張り込まれ一気に青褪める。
ぶんぶんと頭を振る綱吉をうざそうに一瞥し、ビアンキは歩みを速めた。
(あからさまに不審者だろ!)
なのに誰も止めないのは何故だ。
奥まった廊下を勢いよく進み唐突に現れたのは重厚な扉。
「オイっ!」
「黙って」
本格的に焦りだした綱吉にピシャリと言葉を叩き付け、美女は目の前の扉を開けた。
(―――――――――――――!!)
目の前に広がる巨大ステージ。目を焼き尽くす、白い光。溢れんばかりの人、人人。
あっけにとられた綱吉を引っつかんだまま、女はステージがよく見える場所へと連れて行く。
「しっかりと焼き付けて。その、頼りない目に」
――――ガチン。
音と共に当てられた、強い閃光。
その中に一人の男が佇んでいた。
「」
―――――アイツ、
立っている、ただそれだけ。なのに視線を奪う。
背筋を伸ばし、優雅に歩き、ついと流す目。
艶やかな、美。
次々と瞬くフラッシュの中にも埋もれることなく、輝いている。
「彼はね、『特別』なの」
女の声が耳を穿つ。
「持って生まれた、抜きん出た才能。あれだけの逸材はそう居ないわ」
リボーンが一歩、前へ踏み出す。
「彼の将来は未知。けれど、頂点に上り詰めるに違いない。それだけは確信できる」
まるで王者。
「言いたいことわかる?」
綱吉はビアンキを見た。
流れる睫毛の奥に鋭い光を放ち、ビアンキは乱暴に言葉を吐いた。
「邪魔なのよ、アンタ」
「、」
「パリのショーも蹴って日本に残るっていうから問い詰めたら、『家で飼ってる下僕が居るから無理』って。ふざけんじゃ無いわよ」
「……………」
「彼はもっと外へ出るべきなの。アンタさえ居なきゃ、……あの人は自由になるのよ」
ゆっくりと、ステージに顔を向ける。ビアンキは何も言わず、けれどじっと待っている。綱吉の言葉を。
脳は忙しく動いていたけれど、綱吉の目はただ一人だけを映していた。
「住む世界が違うのよ。あの人と、アンタは」
ふざけんな、そう言いたかった。でも乾いた口は情けなく息を吐き出すことしかできない。
何が違うというのだ。オレとあいつ、所詮は同じ人間でしかないというのに。
もっともらしくスケールのでかい正論を脳みそに垂れ流してみても、こころに吹き荒れる冷たい風はいっそうに勢いを増すばかりで。
あの背が遠い。とてつもなく、遠く感じた。
「………………………はあ………」
ダメだ。考えすぎて脳みそが沸騰しそう。
綱吉はコックを捻った。
「………………………よし、」
綱吉は静かに決意した。
リボーンと出会って、半年が過ぎようとしていた。
「というわけで、出てくから」
「………………………………………………は?」
なにが?とリボーンが聞いた。
静かな、いい朝だ。かりっと焼いたバゲットにジャムを塗りながら、綱吉は再び言った。
「というわけで、出てくから」
「いや、だから、何が」
「…………食べる?ツナサンド」
「…………食う」
もーしょうがねーなーと言いながらも綱吉はいそいそとパンにレタスを敷き始める。
気持ち悪い、とリボーンは思い(いつもなら文句の応酬が二往復くらい飛び交う)、コーヒーを啜る。
言葉の意味を理解したのは、マンションを出て車に乗り信号が赤から青に変わるのをぼんやりと待っている時だった。
遅い。
自分にしては脳みその回転が悪い、と思いながらも、リボーンは現実感を持てなかった。
「いや、何処に行くってんだ」
金もない、職もない、彼女も居ない男だ。
「場所なんて………」
仕事に向かう道のりが、異様に長く思えるのは気のせいだろうか。
冗談だろう?
眩暈がしたのは、スタジオの中、スタッフが慌しく動き始めた中だった。
リボーンは玄関の前に立ち尽くしていた。
いつもならこの扉を開けて、中に居る間抜けな男をからかって、夜は更けていくのに。
目の前にある一枚の扉がこんなに重く頑丈な風に感じたことはなかった。
ちらり、と腕の時計に目をやる。6時過ぎ。今日は早めに上がれた。
「……………………」
意を決して、カードキーを通す。
家の中は薄暗かった。
「…………………………ツナ?」
しんとした部屋。いつもなら明るく夕食の匂いが広がっているはずのキッチンにも、何の影も無く冷たいままだ。
いないのか。まさか、
もう、
「あれー、お帰り、早いな」
脳みそにするりっと入ってきた、呑気な声。
タオルを肩から引っさげ、「帰ってきたなら電気くらい点けろよなー」とぶつくさ言いながら明かりを灯す。
冷蔵庫を開けて牛乳を探しているそのぼさぼさ頭に衝撃が走った。
「いッッ……何すんだてめ!……え?」
「――――――――――寝る」
「え?おい、ちょっと、風呂は?メシは?おいこら!」
ずかずかと自室に消えていったリボーン。綱吉はその背が消えるまで、呆然と見ていた。
「……なにキレてんだアイツ」
(仕事で嫌なことでもあったのかな……)
今日は最後の夜だから、と決めて。
食事にでも誘おうと思ってたんだけど。
綱吉は溜息をついた。
最後の食事は、明日の朝になりそうだ。