獄寺は足音荒く、廊下を歩いていた。
(何なんだ、あの男)
己があんなに憧れていた戦闘機を、ああも軽々と操っておきながら―――!
偉そうな態度で操縦宣言された方が、どれだけマシだったろうか。
軟そうな、下がった眉尻が脳裏に浮かんだ。
頼りなさそうな、琥珀色の瞳。己を見詰めたときの、不安そうなおどおどした表情。
「――――」
前髪をぐしゃりと掻き回した。
「獄寺!」
声の方へは振り向かなかった。
どうせ、あのお節介ヤロウに決まっている。
「おい、元気出せよ。ツナびっくりしてたぜ?」
早速上官を呼び捨てにしている。
獄寺は呆れた顔で山本を見た。
「大丈夫だ、明日っからは普通に接するし」
「あー、そーだといーな」
「どういう意味だ」
こういう気安い軽口が一番楽だ、と獄寺は思った。
あんな頼りねえ上官なんて、気疲れするだけだ。
任務中以外は極力、近付かないようにしよう。
それに、あの操縦は型破りすぎる。
自分も少しその傾向があると踏んでいたが、そうでもなかったようだ。
だったら、こちらは忠実に、確実に任務をこなせばよい。
あいつのやり方は、どうせいつか身を滅ぼす。
獄寺は先ほどまでの険しい顔を隠し、山本にニヤリと笑って見せた。
山本は怪訝な顔で、どこか引きながらそれを見ていた。
自宅のマンションへと帰った獄寺は、重い足取りでフロア内を歩いていた。
最近移ったこの場所は、喧騒も届かずゆっくりとした時間を過ごすことが出来る。
部屋へ向かって歩いていると、やたら大きなダンボールが廊下に置かれていた。
(・・・・・・?)
そういえば、隣に誰か引っ越して来るとか通知が入っていたな。
どうでもいいが、夜まで作業するのは勘弁してほしい。
鍵を開けて、部屋へと入る。
電気をつけると、ソファに座った。どっかりと腰を下ろしながら、天井を見上げる。
(あー、疲れた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、?)
隣から、何か割れたような音が聞こえた。続いて、呻き声だ。
(おいおい、大丈夫かよ)
しばらくすると静かになったので、獄寺は気にせず風呂へと向かった。
風呂から上がると、テレビをつける。
ニュース番組のアナウンサーがどでかく映り、今日の出来事を伝えていた。
冷蔵庫からビールを取り出す。
一気に飲み終えた時、玄関のベルが鳴った。
(・・・・誰だ、夜から)
時計を見ると、九時過ぎだった。
電話を見るのも面倒だったので、ドア越しに話しかける。
「どちら様でしょうか」
「あの、夜分にすいません!隣に越してきた、者です」
やたら怯えた声だ。人馴れしていないのだろうか。
ガチャリ、とドアを開けた。
ら、
琥珀色の瞳と視線がぶつかった。
「「あ」」
綱吉は、呆然と入り口に立っている住人を見ていた。
昼間に捨て台詞を残して去っていった男が立っているとは、誰が想像できただろうか。いや出来ない。
(あわわわわわ)
目の前の男は、風呂上りだったのだろう、上半身裸だ。
銀色の髪から雫がぽたりと落ちて首筋に流れる様が、男の色気を醸し出していた。
だが、綱吉は同性の色気なんぞに興味がない性質だったので、かっこいいなあくらいにしか思わなかった。
というか、それどころじゃなく怖かった。
ものっそい鋭い目つきで睨まれていたからだ。
そこで、自分が何をしに来たのか気付いた。
「あ、あの、これ、引越しの、ごご挨拶、に」
「どもり過ぎです」
突っ込んで、獄寺は受け取った。
(・・・・・CMかよ)
某ドーナツ屋の十個入りパックだ。
ちなみに、獄寺は甘いものが苦手だ。
「あ、の!」
綱吉は意を決して話しかけた。
再び向いてきた恐ろしい視線に、全身が慄く。
(頑張れダメツナ!踏ん張れダメツナ!)
「これから、よろしくお願いします!」
ダダダッ! バダン!
ガチャ、バリン!ひえええええ!
嵐のように去っていった上官の悲鳴を壁越しに聞きながら、獄寺はぽかんと突っ立っていた。
なんだ、今の。
小学生かアンタは。
中に入って、箱を開けた。
色とりどりの丸いお菓子が綺麗に並んでいる。
(・・・・・・・・・・・)
(――――!!)
ぜえはあと息切らせ、綱吉は自分の部屋の台所に座り込んでいた。
昼間に見た険しい顔が、脳裏に焼きついて離れなかった。
よりによって、お隣さんだなんて・・・・・!どっかのマンガじゃあるまいし!
チラリと横を向いた。破片が散らばっている。
今日で既に皿を二枚も割ってしまった。
(今度、買ってこなきゃ・・・・・)
溜息が口から零れ、咄嗟に手を当てる。
いかん、溜息をついたら幸せが逃げる。
昔、ばあちゃんが教えてくれたことだ。
よっこらせ、と立ち上がり、伸びをした。
明日から再び戻る、戦闘機に属する毎日。
『テメエは、根っからのパイロットだ』
誰かの声が耳の奥で聞こえた。
それでも。
もう俺は、人殺しなんてしたくないのに。
胸のうちで呟き、頭を軽く振った。
「それでは、任務に就いてくれ。山本・笹川班、沢田・獄寺班」
「「了解」」
並んで敬礼し、踵を返す。
部屋から出ようとした時、「沢田、ちょっと残れ」と呼び止められた。
「・・・・・・・・任務前に言う必要がある話でしょうか?」
「どうせ後三十分ある。まあ付き合えよ」
シャマルは沢田の態度を咎める風もなく、淡々と声をかけている。
綱吉は戸惑いを隠せなかった。
このシャマルとかいうおっさんは、どうにも掴めない。
獄寺が入り口で不審気に佇んでいるのに気付き、綱吉は困ったように目線を合わせようとした。
だが、綱吉の視線に気付いた獄寺は、さっと顔を逸らした。
軽くショックを受けた綱吉にフォローもなく、「では外で待っています」とだけ告げ、獄寺は部屋を出た。
「アイツの態度、気にせんでくれ。元々あーいうヤツなんだ」
「気にしてません・・・」
「説得力ねえなあ」
「話ってなんですか」
軽く睨みながら上目遣いで見上げられ、シャマルは少しドキリとした。
(いやいや、『ドキリ』はおかしいだろ、女専門だぜ俺は)
「一佐?」
「あ、スマン!いや、お前、救援部隊に移動したいんだって?」
「・・・・・なんでそれを」
「まーちょっと」
綱吉は天を仰いだ。
そういえば、こっちに来る前に希望を出していた。
シャマルはとっくに知っているはずだった。
「・・・・・・そうです、俺の希望は救援部隊に就くことです」
「そうか。諦めてほしいんだけど」
「嫌です」
「あ、やっぱり・・・・・」
そうだよねえ、と呟きながら、シャマルは頭を掻いた。
「・・・・・・・・・・お前さんがどの程度の腕かは、昨日のアレでよくわかった。だからこそ、俺は」
「F-15を操縦できたって、最悪、敵国の人間を殺すだけです」
「だが、国民の命を救っている」
「国籍は関係ありません」
目の前の青年は、頑として譲らない。
シャマルは、溜息をついた。
「・・・・・誰だって、目標としている事が全て出来るわけじゃない」
「知ってます」
「今居るこの場所で、自分が出来ることを成す事に意味があるとは思わないか」
「思います。しかし、諦めたくありません。自分に救える命は、別の形で救いたい。飛ぶことは好きです。だけど、それとこれとは別の次元の話です」
「気持ちはわかるけどな、それじゃ通らない世界なんだよ」
「・・・・・・・失礼します」
綱吉が部屋を出た後、シャマルは再び溜息をついた。
「・・・・・・・・青いなあ」
綱吉が部屋を出ると、壁に凭れ掛かった獄寺と目が合った。
「・・・・・・・・・・」
獄寺は無言で踵を返し、歩き出す。綱吉は、慌てて 後を追った。
「・・・・・救援部隊に、就きたいんですか」
ぽつりと漏れた声に、綱吉はびくりと体を震わせた。
「、聞いてたの」
「すいません」
あまり謝ってない口調だ。綱吉は肩を落としながら答えた。
「うん、本当はこっちに来る時も希望は出したんだけど。却下されてこっちに」
「そうですか」
獄寺がそれ以上聞く様子がなかったので、綱吉はほっとした。
「・・・・・獄寺、くん」
「はい」
「今日から、よろしくね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」
随分長い間の後、返ってきた返事に少しだけ安心して、綱吉は前を見た。
(今は、任務のことだけに集中しよう)