邂逅、そして別れ。



■矛を持つ旅人■ 沢田綱吉と雲雀恭弥と山本武/ヒバツナ寄りパラレル/続く
持ち物は少ない方がいい
あの太陽には見覚えがあった
忘れてしまえと、他でもないあなたが言うの
時間はくるりと反転し、流転を繰り返し
そうしたらもう一度、あなたに会いにこようと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 










顔を上げ、ビルの隙間から覗く光を見る。黄色い。
強い閃光に目を焼かれるのではと心配をし、慌てて目を閉じた。
瞼の裏には赤や緑の妙な生き物がダンスをしている。こいつらは夢に出てきた悪魔だ。
咄嗟に目を開け、追い払った。


正確な時間はわからないが、空気の温度と太陽の色合いで、何となく夕方前だと思った。一番好きな時間だ。目に見えるものが、ゆっくりと、体の中に入り流れてゆくから。
綱吉は時計を身につけない。あまり必要ないと気付いたのは、家を出て間もない頃だった。高校進学祝に母からもらった腕時計は、荷物の底に沈んだまま。
綱吉の全財産、皮のトランク一つ。


手に持っているビニールの袋が、ガサ、と音を立てる。
中にはネギが一本、トマトが一個、ジャガイモが一袋、牛乳が2パック。
意外と腕に負担をかける重さ。どういう風に使われるのかはわからないが、それでも、初めて頼まれたお使いだ。多少は信用されるようになったのかもしれないと、少しだけ笑った。






「おーい」

顔を上げる。赤みが掛かってきた太陽を背に受けて、一人、男が立っていた。
「ちゃんと買って来たか?」
その物言いに、少しムッとした。とっくに成人を済ませている男に向かって幼稚園児扱いするのはどうなんだ。袋を上げてみせる。男は近付き袋を受けとった。
一瞬、指が触れる。
中身を確かめ、男は少しだけ眉を顰めた。
「牛乳、2パックしか買ってないじゃん」
「雲雀さんがそれでいいって。奉納日前だから」
雲雀の名を出すと男は下がった。じゃ、しょーがねえな。
微かに垣間見せる信頼の情に、少しだけ壁を感じる。でもしょうがない。そんなもんだ。
「じゃ、帰るか」
思考が感情に追いつく前に、くるりと背を向けて男は歩き出す。


どこまでもマイペースな人達だなあ、と思った。
複数形なのは、ここにいないもう一人の人物を思い出したからだ。
暴力、横暴、理不尽、恐怖がタッグを組んで最大限に力を発揮しているような人。あんな風に絶対王政時代の君主さながらの風格を携えた人物に、綱吉はこれまで出会ったことがなかった。
思い出した後、綱吉はハッと気付いた。そういえば、早く帰らないとどうのこうの言ってたっけ。
またあの変な棒で殴られるのは勘弁だ。
慌てて山本の後を追いかけた。




綱吉がこの地へ訪れたのは、ちょうど一ヶ月前のことだった。
胃の中が空になる度に「いつかぶっ倒れるんじゃないか」と危惧していたが、ついに意識を飛ばしてしまったのだ。
目が覚めたらシミひとつ無い木目の天井を背景に、人形のように白い肌をした端整な顔が視界一杯に広がっていて、反射的に悲鳴を上げた。そしたらいきなり殴られた。
その広い家屋に仰天したのは、出された白米を力いっぱい平らげた後だった。更に、その広い家に住んでいるのが男二人だけという事実にも目を丸くしたが、雲雀恭弥と名乗った男の「行くとこないなら来れば」の一言で、素直に厄介になることに決めた。



雲雀恭弥と名乗った恩人は、見た目に相反して(目つきや表情は彼の全てを物語っていたが)どうやら町内外で有名な人物のようだった。御近所の奥様から聞いた話によると、この町の総括をしているらしい。その他諸々入ってきた情報は何だかあまりにも突っ込みどころが有り過ぎて脳に仕舞う要領を超えてしまい、出てきた感想はまだ若いのに凄いなあ、という間抜けなものだった。
年齢は不肖だが恐らく同年代か年上だろう。なぜかいつも黒い服を着ている。理由は怖くて聞けないが、いつか雲雀に付き従っているリーゼントの誰かに聞こう、と、綱吉は最近決意した。未だ実行できていないが。
口癖は「噛み殺す」と「群れるな」。手癖はすぐ殴ること。一日に三回以上はどつかれている気がする。
それが彼なりのコミュニケーションなんだと知ったのは昨日だ。傍に居た厳ついリーゼントの草壁さんがそっと教えてくれた。同情故の善意かもしれないが。

そして、目の前にいる山本武というこの不思議な男も、綱吉には掴み所がない存在だった。御近所の評判はすこぶる良い様だし、セールスにも無難にソツなく応対する。
だが、陽気なようで家の中では案外静かだ。そこまで饒舌になった様も見たことがないし、怒ると怖い。
一度、事情は全然掴めなかったが、家の前でバットを片手に明らかにその筋の方に対して思い切り胸倉を掴みながら笑顔で何事か囁いていた。相手さんは青褪めながらコクコクと頷くばかりで、手を放した瞬間ダッシュでその場を離れていた。ぽかんと佇んでいた綱吉に気付いた山本は、「よーお帰りー」と(一見)爽やかな笑顔で挨拶をし、それを見た瞬間綱吉は戦慄した。町内の道場で師範代を勤めているのは知っていたが、まさかバットまで振るっているとは想像だにするわけがない。
また、微笑を浮かべながら冷蔵庫の上にある蛙の標本を小一時間ほど眺めているのを見たときは、きっと相容れない人種なんだと悟った。その蛙の標本は、もう一人の同居人が大事にしているものだったが。
何でも、生まれて初めて仕留めた獲物だそうだ。齢一歳にしての出来事だと本人の口から嬉しそうに語られたのを聞いたとき、二人にはあまり近付かないようにしようと決めた。なので、綱吉は自分から同居人達に話しかけることはあまり無い。

だからといって嫌いとか、そういうわけではない。基本(多分)いい人達、だ。

ただ、『ちょっと』変わってるだけ。

ちなみに、この家の家計は雲雀が町内から押収する奉納金で賄われている、らしい。
何に対する奉納かは定かではないが、時々雲雀や山本がチンピラを引き摺っている姿を見ると、世の中はうまく回ってるなあと感心する。


それにしても、居心地が悪く感じないのは不思議だった。家の中を包む空気が好きなのかもしれない。古いが清潔感の有る、ひっそりとした、だが温かみのある空気。
昔住んでいた家と似ているようで少し違う独特の空気は、綱吉を侵食して体中に広がっていた。





横手には、サラサラと静かに流れる川がある。日の光を受けてキラリと光る様子に、綱吉は目を細めた。今夜、久々に絵を描いてみようか。スケッチブックにはまだ余裕があったはずだ、多分。
家を出てから、綱吉は絵を描き始めた。それまで全く興味を示したこともなかったのだが、ある日の朝焼けを目にした瞬間、気がつくと鉛筆を握って一心不乱に紙に走り書きをしていた。それから、スケッチブックと色鉛筆を買って、時間があるときには絵を描くようになった。旅先で出会う人たちからたまにもらう絵の具は少しずつ色を増やしている。今のところ7色。虹の色だ。




「聞いてんのか?」

「―――へっ?」

全然聞いてなかった。背を向けていたはずの山本が、いつの間にか目の前にいる。
その距離が意外に近くて、少し後退さった。目を合わせるのは何となく避けようと思って、襟元辺りを眺めた。
浅黒い肌が見え、脳内でなよっちい自分の体と比較した。確か、同い年だ。これは溜息モンだよな。


先刻買物をしたスーパーでの、近所の主婦の立ち話を思い出した。
出入り口に屯して大声で話す様に、通っていく何人かが迷惑そうに視線を送っていたが、気付く様子も無く話しに夢中になっていた。綱吉は無言で通り過ぎようとしたが、その内容に思わず聞き耳をたててしまった。

綺麗よねえ、雲雀さんて。ちょっと怖いけど(ここで綱吉は『ちょっと』と言い切る主婦の神経に驚愕した)。山本君も素敵よね。優しいし、笑顔が可愛いのよね。あら、最近もう一人増えたみたいよ。そうだったの。まだお若いのにね、男の人たちだけで暮らしてるなんて、珍しいわよね。人様に言えない関係って噂、あるのよ。いやあね、何言ってんのよ。でもお似合いよね、禁断の愛。

ケラケラと笑いあうかたまりを避けて、綱吉は足早に過ぎ去った。なぜか耳が熱くなった。心臓がこれでもかと踊っていた。

雲雀さんと、山本って。

そうなのか。

ふうん。

『そういうこと』に対する偏見とかはあまり無かった。ただ、突然知った事実に驚いただけだ。
綱吉にとってそれ以上にビックリしたのは蛙だとかいきなり出てくるトンファーやバットだとか必ずボコられてる不法侵入者(あの家にはなぜか一日に一回は侵入者が入るらしい。「身の程知らずな挑戦者だよ」と雲雀さんが言ってたけど恐ろしくて具体的には聞けなかった)だとか、そんなんだった。
今更、同性愛くらいでなんだ。
無愛想だし何考えてるかわかんない人たちだけど、オレを助けてくれた。
だから、全然ショックとかじゃない。ホントだってば。
店を出て、胸の内で無意味に誰かに言い訳をしながらぼんやりと歩いていたら、まさか、脳内を占めていたうちの一人に遭うとは思ってなかったけど。






山本は眉を顰めていたが、綱吉はそれを見る事無く足元に視線を落とした。
一ヶ月もここに居座ってしまったのが不思議だった。今までは、長くて数週間、大抵は一日で色んな場所を転々としていた。
長く、居過ぎたかもしれない。
そろそろ出ようか。両親の影もない。
再び西の方へ足を向けようか。

「おい、大丈夫か」
「大丈夫ですよ」

存外低い声を出しながら、綱吉は誤魔化すように言葉を紡いだ。
「雲雀さん、さっき出かけたみたいけど、帰り遅くなるのかな」
「どうだろうな。どーせ用は一つだけだし、すぐ帰ってくんじゃねえの?」
「そっか」

じゃあ、今夜にでも告げて。

「どこ行ったんだろう」
無意識に呟いただけなのに、なぜか息を呑む気配を感じて、綱吉はそれに僅かに驚いて顔を上げた。山本は目を丸くして、でも一瞬の後には無表情になる。それが少しおかしくて、でも笑っちゃ失礼だと綱吉は口を真一文字に引き結んだ。
「何だよ、その顔」
相手が何だかムッとしたように口を尖らせて追求してきたが、綱吉は顔を横に振った。
くそ、と呟いて山本は横を向いた。なぜか目元が赤く染まっているように見えたが、夕陽のせいなのかもしれない。再び吹き出しそうになるのを必死で堪え、綱吉は頬に手を当てた。

「いっかげつ」

「は」

再び、間抜けな声を出した。山本は何だか悔しそうな顔をしていた。そして、彼にしては珍しい早口で、一気に喋りだした。




「だからお前が来てからちょうど一ヶ月目だって雲雀が言ってあんな噛み殺すにも値しないどーしようもないヤツでも一緒に住んでんだから何かそれなりに節目は大事にした方がいいとか意味わかんねー事言い出して俺は別にどっちでもいーけどまあアイツが珍しくそんなこと言うもんだから付き合ってやってもいいかなって」
「だ、いじょうぶですか、息」
決まり悪げに呼吸を荒くする山本と、オドオドしながら伺う綱吉の足元に、黒い影法師が背伸びをしていた。


「だから、ケーキでも買おうかっつって、買いに」

その言葉は、綱吉を完全に止めた。
頭の中が真っ白になり、次いでじわりじわりと言葉が染み込んでゆく。
山本がこんな風にぶっきらぼうに話すのは初めてだ。しかも、完全に照れている。




ケーキを?


誰のために、だって?


あの、雲雀さんが?(本当に、いろんな意味で『あの』、だ)






あーあ、バラしちまったなーと照れ隠しに頭をかきながら綱吉の方を向いた山本は、その表情を見て、ぶはっと笑った。
「何だ、その顔!」
あはははは!と声をあげて爆笑している男に更に驚愕し、綱吉の目は一層まんまるになった。珍しすぎる、こんな笑い方、初めて見た。

一通り笑い終えると、目尻を指で拭きながら山本がにこやかに笑った。おそらく、一ヶ月目にして初めて見た、自然な笑顔だった。

「帰ろーぜ」

「うん」

気がつけば自然にそう答えていた。


脳裏には、ケーキを真剣に選ぶ仏頂面が浮かんだ。
胸の中に灯る火を必死で消そうとしながらも、綱吉は目頭が熱くなるのを感じた。


何だこれ。

何だ、これ。




「どうした?」

オレにもわかりません。
口を開けて声を出そうとするも、息しか出せずに諦める。無理にでも答えようとしたら、嗚咽が出そうだと思った。こちらを伺ってきた男に必死に隠そうとするも、涙目の顔を見られてしまった。
山本は目を丸くして、固まった。
綱吉はうーと唸りながら腕で擦るが、目からは溢れるように次から次へと水滴が零れ落ちた。
結局引き攣ったような嗚咽が漏れて、山本がびくりと震えたのがわかったが、綱吉にはどうしようもなかった。何で自分が泣いてるのかもわからなかった。


けれど。



小さい頃の、ぼんやりとした思い出。
そこには、確かに満たされた自分がいた。
柔らかな母の笑顔、温かい父の背中。
僅かに感じたノスタルジアの後には、己の存在を受け入れてくれた彼らに対する感謝の思いが全身を包んだ。


(俺は今、満たされているのかもしれない)


同居人が理不尽で似非笑顔でホモだとしても、綱吉はそれを吹き飛ばすくらいの幸せを感じていた。





しばらくはこの温もりに甘えてみようか。


ひっそりと心に思いながら、綱吉はズズッと鼻を啜った。





     持ち物は、少ない方がいい。けれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










水面からキラキラと光を送られて、綱吉は目を細めた。
(・・・こないだからやけに、光を見てる気がする)
「落ちたいの」
「へっ!?」
「腰」
「・・・ハ、す、いません!」
大分に遅くなったスピードではあったが、それでも綱吉はふらついていた、少しだけ。
恐る恐る腰に手を添える。
「落とすよ?」
「スイマセン!」
ガシリとしがみついた。
海岸ロード、どこまでも澄み切った、抜けるような青空。
有り得ない人さえ前に居なければ、素直に受け入れられるシチュエーションだ。




そもそもに、こういうことになったのは家主の気まぐれだった。

「海行きたい」
「おー、いいなー」
「・・・・・・」

静かな朝、食卓を囲んで焼き魚を突っついていた。綱吉は寝起き最悪だ。
「ツナ、口はもーちょい右な」
山本の優しさにも気付かない。雲雀が徐にトンファーを取り出してガヅンと殴ると、綱吉は左右にビィィンと揺れて覚醒した。
「・・・はっ!朝!ゴハン!」
「しっかり食べなよ」
『群れ』が嫌いな雲雀は、食事はなぜか揃って食べることを強制した。雲雀家家訓だそうだ。
ちなみに作るのは雲雀側近の草壁だ。なぜかこの家の家政夫をしている。綱吉も最近は手伝うようになって、その度に彼の人柄の良さと其れ故の苦労を感じていた。
「ご馳走様、でした!」
美味しい朝ご飯は心もお腹も満たしてくれる、と悟りながら満足げに腹を擦った綱吉を、雲雀はギロリと睨んだ。
「片付けたら、三分で準備」
「・・・・・・・・・・へ?」
「玄関集合」
じゃあね、と言い残し、雲雀は席を立った。
ポカンとした綱吉、味噌汁を啜りながらその間抜け面を眺めていた山本がボソリと呟いた。
「お誘われたな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マジで」
カシャン、と箸を落としてしまった。
実は角に佇んでいた草壁が、眉尻を下げた。





海道には、車もほとんど通っていなかった。それなりに風圧が掛かるので耳元は風の唸り声ばかりだ。
「ひ、ばり、さ!」
答えない。これはそのまま喋っとけという合図、だ。
「何で海、なんですかあ!?」
「もうすぐ着く」
しっかり掴まっとけという呟きは彼の口元で空気に溶け、綱吉は突然上がったスピードに顔面蒼白で必死に前の男にしがみついた。





「うおおお!綺麗ですねえ!」
「・・・・・」
あからさまに顔を顰めている雲雀に対し、綱吉はめっちゃハシャいでいる。

「あれ、雲雀さん、どこ行くんですか」
「どこだっていいだろ」
(・・・・・・・・・・・・何であんな不機嫌、なんだ)
自分が行きたいっつったクセに。

へんなの、と呟いて、でも綱吉はすぐに足元の漣に夢中になった。





さぁ、 ん。

僅かな余韻を残して、白い泡は砂に溶けていく。その様子が面白くて、じっと見つめた。
既に裸足になっている足の片方の親指を、そっと濡れた砂に埋めてみる。
冷たさに背筋がぶるりと震えたが、それは静かな高揚感を生み出した。

顔を上げる。
とうめいな空のキャンバスに、飛行機が白い線を引いていた。
その上には目も当てられないほどに眩しい太陽、燦々と輝いている。
水平線は遠く波は穏やかで、突然の来訪を優しく迎えてくれているかのようだった。

しまった。スケッチブック、持ってくるべきだった。

準備する時間もなかったが、頭からすっかり抜けていたのが僅かに悔しい。
帰ったら思い切り描くことの出来るように、この風景をしっかりと目に焼き付けておこうと思った瞬間、唐突な衝撃により思考は遮られた。
「あいて!」
ゴヂン!と、やや派手な音を立てて頭にぶつかった其れは、緑色のスチール缶。真ん中にでかでかと『緑茶』と書かれている。
頭を擦りながら振り返れば、少し離れた堤防に仁王立ちになった雲雀がふんぞり返っていた。
「何すんですかァ!」
「やるよ」
イイコトしたーみたいな顔をされ、綱吉は顔を顰めた。
足元に落ちた缶を拾って、砂を払う。
感じた理不尽さを宥めるように、囁く波音は、どこまでも優しい。


「なんか、今頭ん中、メロディーが流れて、ます。たん、たん、たーんっての」
「火サス?」
「違います!ほら、たん、たん、たーんってヤツです」
全然わからない。雲雀は首を傾げたが、綱吉は熱くたんたんたーんと繰り返している。
「音痴も時には暴力だね」
「ひどっ!」
波音は、どこまでも尽きない。



「あの」
躊躇いを含んだ固い響きに、雲雀は僅かに眉を上げた。

「もう一ヶ月、過ぎちゃいましたね。雲雀さんちに来て」

「それが何」
「や、別に」
いつの間にか飲み終えたスチール缶を、雲雀は忌々しげに放り投げた。ブラックの缶は、三メートル後方にぽつんと置かれてあったゴミ箱に、かちゃんと寂しげな音を立てて飛び込む。
「何かそういうの、ほんと腹立つ。言いたいことがあるなら言えば」
「・・・・・・・・・・・・」

青年、と言うには幼い横顔が、妙に神経を刺激する。苛々する。
雲雀はそんな己に驚きながらも、綱吉の白い頬を見ていた。
睫毛が意外と長いことに気付く。明るい茶色をしている、光のせいなのか、とぼんやり思った時、唇が動いた。

「今日、嬉しかったです。海、ずっと見たかったから」

ありがとうございました。



僅かな沈黙のあと、素っ気無い声が来る。

「別に、君のためじゃない。自意識過剰だね」
「はあ、そうですか。すんません」

「だから、そーいうのが腹立つ」


雲雀の憎憎しげな声、綱吉は聞こえない振りをした。


顔を上げる。光が視界を焼き尽くしてもいい、あの炎の塊をいつまでも見ていたかった。














家の前に着くと山本が立っていた。
「あれ、ぐーぜん」
「よっ」
軽く手を上げながら笑う男は、雲雀を見るとニヤリ、と笑んだ。綱吉に向けたそれとは完全にちがうものだ。
「どーだった?」
ニヤニヤと声をかける山本を完全に無視して、雲雀は家の中に入っていった。
「ひ、ひばりさ・・・」
「ぶはっ、あいつ素直じゃねーなあ!」
「へっ?」
「ツナさー、こないだ夢見なかった?」
「・・・・・ゆめ」
「雲雀が偶然寝言聞いたらしくってさ」
「あ」



一昨日。
そういえば、縁側でどこぞのじいさんのように日向ぼっこしていた。ついうたた寝をしてしまったのだ。
もの凄い衝撃と共に目を覚ましたら、視界には雲雀の顔がいっぱいに広がっていて、思わず固まってしまったのを覚えている。


あの時か。



「うわっ、ツナ、顔真っ赤」
山本が覗き込んできたのを、綱吉は慌てて押しのけた。
さらに情けない顔なんて、恥ずかしすぎて見られたくなかった。
フッと微笑んだ音が、頭の上から降ってきたのが、もう、何だかダメだった。





     あの、太陽には見覚えがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 











「沢田さんの事、聞いてもいいですか?」

豪快に味噌汁を啜っていた山本が、ゴフッ!と音を立てて思い切り咽た。
雲雀がピクリと肩を揺らしたが、食卓が惨劇に塗られる前に草壁が慌てて雑巾でテーブルを拭う。
当の本人と言えば、全く理解していないように、「へえっ?」と間抜けに返事をしていた。




その男は、獄寺隼人と名乗った。

出会いは本当に唐突だったのだ。綱吉がいつものように買出しを終えた帰り道(いつの間にか買物担当になってしまった)、土手道を遮るかのように倒れていた物体に思わず足を止めてしまった。

どうしよう。

警察にいくべきだと思い立ったのは、実は十分も経った後のことで、非常にシュールな様子に突っ込む輩は生憎と誰もいなかった。思い立った瞬間、その人間がピクリと動き、ゆっくりと顔をあげた。


「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」


見なかったことにしよう。


と決め、綱吉はくるりと踵を返した。同時に、

グゴォォ・・・・・・

と、低い音が耳に届いた。


「「・・・・・・・・・・・・・・・・」」

肩越しに振り向く先に見えたのは、もの凄い勢いで睨んでくる恐ろしい顔。
だがその表情に切実さを見つけ、綱吉は怖がるより先に溜息をついてしまった。








紆余曲折し二時間経ったあと、雲雀家の食卓にはいつものメンバーに一人プラスされていた。
初めは恐ろしい態度だった獄寺も、家主を説得した綱吉の一生懸命な様子になにやらズキュンとキたらしく、すでに態度を百八十度回転させている。どうやらただの金欠だったらしい彼は、言葉の端々に「ネッ沢田さんっ!」と付け足してくるのが、何とも食事の邪魔であった。
(オレの周りって、変わったひと多いよなあ)
ぼんやりと考えていた時に、いきなりの質問である。

「沢田さんって、何でコイツらと一緒に暮らしてんスか?どーいう関係なんですか」

いやに真剣な表情。
「どーいう、って、言われても…」
自然に顔は同居人たちの方を向く。

静かに且つわかりやすくキレている(意味がわからん)家主と、顔に笑顔を貼っ付けてはいるもののオーラが真っ黒な(こっちも理由はわからん)もう一人の同居人。
なんだかオロオロしているリーゼントのお兄さん。

ものすごく、空気が止まっている気がするのは自分だけだろうか。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・恩人?」
「フン」
「そーなのな」

空気が再び元に戻り、綱吉は一人いぶかしんだ。獄寺が箸を置いて、二人を睨んでいるのが気になってしょうがない。

「沢田さんは、普段何をされてるんですか?」
「・・・・・・・・買物?」
「お仕事は?」
「・・・・・・プー?」
「趣味は?」
「・・・・絵?」

「おい、お前いい加減にしろよ」

いきなり山本がキレた。こんなに露骨なのは久しぶりだったので、綱吉は驚いた。

「初対面の人間にアレコレ聞くんじゃねーよ、失礼だろ」
「はあ?お前に言われる筋合いはねーよ。沢田さんは命の恩人だからもっと沢田さんのこと知りてーのは当然だろ。お前こそいきなり失礼じゃねえの?ネッ沢田さんっ!」
「君達、そろそろ本気で黙った方が身のためだよ」


(・・・・・・・・・・・)






限界かもしれない。と、ふと思ってしまった。
全く素性を話そうとしない人間に対し、二人はとても親切にしてくれた。
(・・・・・・やり方はともかく)


意を決し、告げる。

「ご飯のあと、時間ありますか」


一触即発の危機は回避されたが、その分靄掛かる感情は綱吉に圧し掛かってきた。









「二年前、高校を卒業しました」
「えっ、俺と同じ年なんですか!運命を感じるなァー!」
「黙れ」

テンションの高い獄寺に山本が突っ込み、雲雀はじっと見つめてくる。
気を使って帰った草壁のことを考えながら、綱吉は先を続けた。

「オレは本当に平凡なヤツで、クラスでは『ダメツナ』って呼ばれてました。何をやっても、並以下なんです」






















「ただいまー」

綱吉は、玄関のドアを開けた。
靴を脱ぐとそのままキッチンへと向かう。
珍しく、母親が居なかった。
(買物かな)
冷蔵庫を空け、ペットボトルを取り出す。一気に飲み干すと、ゴミ箱に投げた。

沢田家は母子家庭だ。
綱吉が物心ついた頃、父親はいつの間にか消えていた。
母には理由を聞けず、今もまだくすぶっている状態で。

奈々は、この時間帯はいつも夕食の準備をしているはずだった。
ただ今日は卒業式で、終わったあと号泣しながら声をかけて来た時には(綱吉だけでなく、周りの生徒と父母もドン引いていた)特になにも言っていなかったし、第一式は午前で終わったのだ。
「どっかぶらついてんのかな」
最後くらいクラスの皆で一緒にと思って参加したカラオケは、とても楽しかった。
最後の最後で友達が増えた。何かそういうのは、嬉しいしちょっと寂しい。

ふと、テーブルに視線を落とすと、通帳が置いてあった。
普段は奈々の部屋の棚の、引き出しの奥にあるはずのものだ。
妙な感じはするものの、「危ないな」と一人ごち、何気なく開いて見た。

「―――――――ッ!?」


見たこともない数字の羅列に、思わず固まってしまった。

「なんだこれ・・・・・・・・」

十桁ある。
そこで、傍にカードと印鑑、そして紙が置かれているのに気付いた。

とてつもなく、嫌な予感がした。

震える手で、紙を開く。



読んだ瞬間、綱吉は家を飛び出していた。



警察に連絡し、滅多に話さない親戚の家にも電話をし、町中を何度も探して、一週間が過ぎた。

一週間目の朝。鳥のさえずりをぼんやりと聞きながら、綱吉は理解した。

母親は、帰ってこない。

手にした紙を、かさり、と開いた。

一週間前から綱吉の手の中にずっと握られていた其れは、既にぼろぼろになっていた。


『綱吉へ。卒業、本当におめでとう。ごめんね。家光、奈々』


「・・・・・・・・・・・・・・・・・とうさん?」


幼い頃、いつの間にか消えてしまった父親の名。卒業式の日は気が動転していて気付かなかった。





『父さんはなー、世界中を飛び回って交通整理をしてんだぜ!』

『いつか、俺たちの住んでいるこの日本を守れたら』

『ツナ、ほんと、ごめんな。お前たちのこと、本当に大事なんだ』


十年以上も前に聞いた父親の言葉が、唐突にフラッシュバックする。


嫌な予感は、もはや膨れ上がって爆発しそうだった。

















「母親が消えた理由も、親父が関わっている理由も、全然わからないし。でも、勝手に消えるような人じゃないから」


「何か、大変なことに巻き込まれてるのかと考えたら、とても怖くなった」


「俺は、両親を探そうと思いました」

綱吉は淡々と言葉を紡ぐ。
「内定決まってたんですけど。事情を話して取り下げてもらい、初めに北に向かいました」

そこから、南へと下りながらいろいろなところを転々と。僅かな期待を込めて、視線をあちこちと移しながら。

「旅をしていく中で、良くも悪くも様々な出会いがありました。すぐ発つところもあれば、数週間も居座るとこもあって。ダメツナなオレがこんな無茶な旅をするなんて、未だに信じられないですけど」



静かな空間に、ごくり、と唾を飲み下す音が響いた。誰なのかは定かではなかった。

こんなに自分のことを話したのは、初めてかもしれない。
今まで出会う人は皆、深くは詮索しようとしなかった。気遣いであったり、ただ興味がなかったり、理由は違えどその方がありがたかったのは事実だ。

だけど。



「オレ、本当に感謝しているんです。お二人と、草壁さんに」




「バカみたい」
「おい、雲雀」

深く息をついて、綱吉は顔を上げた。

山本の咎める声も意に介さず、雲雀は視線を合わせてきた。

鋭い眼光が、綱吉の体を射抜く。




「もう、やめれば」




「嫌です」






そう、と呟いて、雲雀は席を立った。

「まあ、どうでもいいけどね。君のことなんか」
「・・・・・・・・・・」
「草壁居ないから。皿、洗っといて」
「雲雀」




獄寺と二人、残された。


「さわださん」

気遣うような声も、体には残らない。

ただ、怜悧な光が、刺すような声色が、その余韻が。体中を渦巻いていた。






忘れてしまえと、

他でもないあなたが言うの。

 

 

 

 











「つなよし」


呼ばれて、少年は振り向いた。


桜並木の下、同じ年齢くらいの少年が立っている。

「――ちゃん」

綱吉の笑顔に、少年も笑みを返す。

それはまるで、桜のように美しく、儚く。















「――――――――――」


暗闇の中、じっとりとした空気が体を包んでいる。

息をつきながら、綱吉は起き上がった。
腹に掛かっていた毛布が、右側に寄せられている。

「・・・・・・・あち」

何か、夢を見ていた。


あれは。あの少年は。



誰だ?







時間はくるりと反転し、

流転を繰り返し。

 

 

 

 

 

 












夕暮れ時。

古い家の中、綱吉は一人きりだった。


今日は皆が集まるのは夜になる前で、外で食事をする予定だ。

「一度連れて行きたい店がある」と山本が自慢げに言い、雲雀は呆れ顔で「また寿司か」と呟いた。
だが『寿司』なんていう単語を久しぶりに聞いた綱吉は過剰に反応し、あまりの欲望丸出しな様に二人を引かせていた。

「あっ、獄寺君も誘う?」
「却下」
「うーん、まあまた今度でいいんじゃね?」

(・・・・・・)
二人は獄寺があまり好きではないみたいだ。何でだろう。ちょっと、寂しい。



縁側でぼんやりと寝転がりながら。家主のことを考えていた。
最近、妙によそよそしい気がする。
(これは・・・・・嫌われたかなあ)

邪険にされるのは、哀しいけれど慣れたもんなのだ。
だが、それが唯我独尊天上天下な独裁者、ちょっと言いすぎ、な雲雀からされるとなると話は別だった。

(だって。結構上手く、やってたじゃん)

多分、己の話をした時からだ。
(・・・・・・・・・話さなきゃ良かったな)




もうすぐ、日が沈む。
燃えるような緋色が一番濃い瞬間を見るのが、とても好きだ。
その後一気に藍に染まってゆく、鮮やかな変化。









―――――――ジリリリリ。



(・・・・・びっくりした)

黒電話が呼んでいる。この古い家にぴったりの電話だ。
慌てて立ち上がり、廊下へと向かう。
「はいはい、取りますよ、っと」

受話器に手を掛けた瞬間、何か、妙な感覚が体を支配した。




「もしもし。雲雀です」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

「もしもし。もしもーし?」

聞こえるのは、砂嵐のような音。遠くからの電話なのだろうか。
それにしても沈黙が痛い。

「悪戯か?」

受話器を置きかけた。





『・・・・・・・・・・・・・・・・・ツナか?』
















なんでだ。





震える手がどう動くかなんて、もうわからなかった。

頭では、逃げろ、と何かが囁いている。

あんなに探していた、相手だと言うのに。


一呼吸し、受話器を耳に当てた。

『綱吉』

今度は声が、しっかりと耳に届く。



「・・・・・・・・・・・・・なんで、」
『久しぶりだな、綱吉』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『元気か?』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『風邪ひいてないか?歯ァ磨いてるか?』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・馬鹿じゃねーの」
『何おう!父さんだって心配くらいするっつーの』
「アンタ、」
『ていうか、今雲雀くんちに居るだろ』

なんで知ってんだ。

『まー、だから電話できたんだけどなー』
「・・・・・・・・・・アンタ今、」
『こーらツナ、父親に向かってアンタ呼ばわりはしちゃいけないぞー』
「どこに居んの」
『・・・・・・無視しないで』
「こっちの台詞だ!アンタには聞きたいことが山ほどあるんだ!」


母さんは。

「母さんは」
『え?』
「母さんは!一緒に居ることはわかってんだよ!」
『・・・・・・・あー』
「あーじゃねーよ!その何も詰まってない脳みそに鉛でも流し込んでやろうか!?」
『ツ、ツナ・・・怖い』


怒りを通り越して真っ白になりながら、綱吉は遠くで考えた。



親父が呑気に無事そうだってことは。

母さんも、無事なんだ。きっと。





『ツナ』
「何だよ」
『お前、すぐにそこ離れろ』
「は、何言ってんの?」

いきなり凄味を帯びた声に、体がことさら固くなった。

『今すぐ成田に来い。詳しい話は後。七時にロビー集合。絶対に来いよ。じゃーな、愛息子!』

「は」



ブヅッ。 ツー、 ツー、 ツー、







後には、呆然とした綱吉と、何も語らない黒電話が残された。




意味がわからない。しかも、唐突過ぎる。
夢ではないのかと頬を抓ってもみたが、耳に残る声は離れようとしない。

二年も探していた、両親。

二人が。父親が。来いと言っている。










気付けば、綱吉はトランクを手に引っさげ、玄関の前に立っていた。


空港に。行かなければ。でも。みんな。親父が。いや、なぜ急に。これは夢か。

山本。獄寺君。草壁さん。


雲雀さん。










「何してるの」

「」


夕陽を背に、雲雀が立っていた。




背筋を何かが、駆け抜ける。

何か、言わなければ。何か。

何を?



所在無げに佇む綱吉を、雲雀はじっと見つめた。
そして視線を手元に移動させたとき、切れ長の目尻がスッと細くなった。
だが、綱吉は俯いているので気付かない。



「ひば」
「早く準備しないと、置いてくよ」

遮るように言葉を発し、そのまま綱吉の脇を通り抜ける。


ダメだ。
雲雀さん、


「雲雀さん」


綱吉は、振り返った。
雲雀は立ち止まっている。その背が、霞んでいて。

「雲雀さん」


初めて知った。

この人との別れが、こんなにも辛いものだったなんて。

「父から電話がありました」

「両親が見つかりました。帰ろうと、思っています」

声は震え、手足が痺れている。

気付けば涙が流れていた。
必死に隠そうとして、それでも嗚咽は止められず。
洟を啜ると、目の前の背中が微かに揺れた。

「ひばりさん・・・・・」

雲雀が振り向いた。

射る様な眼差し。

「泣けば許されると思ったら、大間違いだ」

そんな台詞でさえも、胸を熱くさせる。


短い間共に過ごした、殺伐としたようで温かい時間。

ああ、オレは。

この人が好きだ。


今はまだガキだけど。
いつか必ず、また。
その時は。




「お世話になりました」
「さっさと行けば」
「ありがとうございました」



「行って来ます」

綱吉は、歩き出す。

その歩みにはもはや、迷いもなく。

前を見つめて歩む姿を、雲雀は眩しそうに見つめた。


綱吉は少し歩いたところで、足を止めた。

「あっ、忘れてた」

「――――、」

雲雀が思わず身構える。
だが、綱吉は気付く事無く、振り返り。
何かを投げてきた。

咄嗟に手にしたものは、

(・・・・・・・・・絵の具?)

真っ赤な、使い古された赤色。

「それ、大事なものなので!預かっていただけると助かります」

綱吉ははにかみながら、次いで呑気に叫んだ。いい笑顔で。

爆弾を。

「雲雀さんがゲイでも、全然アリだと思います!だから、」

「山本と、お幸せに!」












「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おい」

ドスの利いた低い声で突っ込みを入れようと覚醒した時には、目の前には誰も居ず。

帰ってきた山本と言い争いになり、雲雀家の一角がぶっ壊されるのはもう間もなくであった。






そうしたらもう一度、

あなたに会いに、こようと思う。

 

 

待っていて。